コンプレックスは悩みの種で、自信の敵です。コンプレックスに束縛されると真の自由になれません。あのモヤモヤ感、イヤです。
なるべくコンプレックスを克服したいですね。ん?克服できるもんですか?
コンプレックスを克服というより、しっかり向き合って、認める、コンプレックスと「共存」した方が幸せになる方法です。
まず、どういったところでコンプレックス感を抱いているでしょう。それって私たちの特徴のひとつに過ぎません。どうしても他人の目を気になって、考えすぎてしまって「コンプレックス」として定着してしまったのです。
どこに定着してしまった?ーーーあなた自分の心に。
そのせいで自信が欠けるオーラがどうしても出てしまいます。逆のパターン、変に優越感として表現してしまう時もあります。
堂々と素直の自分になれないです。セルフエスティーム低下の原因にもなります。
では、コンプレックスの正体を見極めたら、捉え方を変えるだけで、束縛から解放されます。
理解してもらうために、私の例を話しましょう。
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私は長年にあるコンプレックスに縛れられてモヤモヤしていました。それは、どの言葉も十分に自己表現できないところです。中国人としても、祖国を嫌いとは言えませんが、中国が好きではないところはもちろんないわけがないです。呆れたこともよくあります。日々日本語を使っていますが、自由自在に操ることができません。英語はそこそこ聞き取れますが、流暢に話せません。私は常に言葉をミックスして思考していますし、文化も習慣もいろんな要素をミックスしています。どこの国にも所属感がなくて寂しいです。ここ1年ぐらい、やっと、そのコンプレックスと共存できるようになりました。
開き直りました!!That’s it. きれいな日本語を話そうという努力をやめました。英語もそう。中国語の進化と流行に追う気も全くありません。私はミックス文化ミックス言語、中途半端でいいんです。こうやって適当な日本語でブログを書いていても、心を開いてそのまま言葉にしているからわかっていただける人はわかっていただけます。
言葉の表現が上手な人は得です。でも言葉は全てではありません。語学力の精進は良いことだと思っていますが、必ずしも人生のトッププライオリティではありません。私はミックス言語思考の「中途半端」というより、その「独特さ」がむしろいいと思ってきました。そうやって私は「微妙な日本語を話す変な中国人」という自分にかけた呪文から解放されました。
ご参考になれたでしょうか。コンプレックスから逃げないで、直視しよう!認めよう!愛せよう!!why not!?
実は他に悩んでいるいくつかのコンプレックスもあります。次に(いつか)話します。