自信・自尊・自愛は「自我が強い」意味ではありません。
むしろ、その逆に近い、「無我」です。
自分を肯定し自分を大切にするからこそ、自分の大事な事、愛する人を大切にする勇気があります。自分の価値観を大事にする自信があります。
我を忘れるぐらい夢中になる趣味、仕事に没頭する時間が幸せです。「フロー」ゾーンに入って、我の存在が取り組む活動と一体化になる「無我」です。
愛と慈しみの瞑想(loving -kindness meditation)を行う時によくわかりますが、愛しい人を想い浮かべ、その人を優しく包みたくなるような体験はとっても幸せです。自分が空気のように、ふわふわ綿のように、水のように…自我の形が無くなって意識しなくなる「無我」です。
自我を超越する「無我」にさせてくれる何か(人でも趣味でも仕事でも信念でも)に出会えたら、至福の瞬間が訪れます。
PS.
「無我」を書くきっかけは最近観た映像作品の感想です。
Let me be part of your life, be part of your happiness.
Let me be —
— part of you・・・
自信・自尊・自愛という言葉たちは、自という文字が入っているのに、確かに自我が強いという意味ではなくて、むしろ無我の境地でこそ到達できるものであるなあ!とNeneさんが書いてくれたことによって気づかされて膝を打ちました。
最近、とても簡単なことなのに失敗したことがあって、こんなレベルの低いことに失敗しているようではなにも達成できないなあと若干、落ち込んでいました。
しかし、もっと難関・難題に取り組むときは、それこそ無我の境地で努力し、その結果、自信があとからついてくる、という経験をよくしたことをNeneさんのこのブログ記事で思い出せました。
さて、先ほど書いた失敗したこと、ですが、簡単すぎることだから最初から手を抜いたり、バカにして取り組んだつもりもなかったのですが、人間って乗り越えようとして立ちはだかる難題に取り組むほうが、神がかった力が下りてくることが多い気がしています。また、無我になるほどの集中力を発揮できる機会、というのは必ずしも自分で選べるわけでもないという経験も多くしてきました。だから、その簡単すぎると感じてしまったことは、自分に縁のないものだったと理解することにしました。いつも楽しみに読んでいます。更新を楽しみにしています。ではではまた^^
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tropicalmorningさん、コメントありがとうございます^_^
「神がかった力が下りてくる」!!私もそう信じてます(・∀・)無我になるほどの集中は、確かに自分で選べるわけではないと思います。「フロー」、「ゾーンに入る」とも言いますね。自分の痛みも痒みの感覚も自我の意識がなくなる境地に入ってることでしょう。私の経験だとメディテーションの集中感はそれに近いです。
おっしゃる通り、フローの条件としては、取り組む課題が簡単過ぎず難しすぎず、「頑張って手が届ける」難易度の場合しか起こらないです!
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こんにちは^^
きょうのお話は昔からいう「思いやりと感謝」に当たるのかな?
Nene.Zさんと一緒に人生を歩めるって幸せだろうなぁ~ワクワクするお話だなぁ~
心地よい幸わせを感じたりするのは脳内で何かが起こってるっていいますね
それはドーパミン
集中したり夢中になるとこれがイッパイでます(*^0^*)~♪
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おはようございます^_^
昔からずっと読んでくださるpikaoさんだからわかっていただきますね(≧▽≦)全てが愛に繋がる話です♡
私も勉強と人生経験とともに理解が深まってきました。探してもなかなか出会えない「無我夢中」になる幸せは貴重ですね(・∀・)
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