何故生きるか

「人はいずれ死ぬのになぜ生きる」と、フォローしているブロガーさんのストリートに書いてありました。

そうですね。何故生きるか。

Photo by Admiral General M. u2b50u2b50u2b50u2b50u2b50 GodShepherdly 33277089* on Pexels.com

25歳に、私は中国に何も残さずに一人で日本に来ました。会社員の身分として出社する義務以外、何も束縛もなく、知らない国の日本で新天地を迎えました。その時、私の脳内に一つの言葉しかないーーーーーーーーー

自由!!!

私は自由だ!その開放感は、何とも言えない!!!極端に言えば、生きていてもいいし死んでも構わない。どう生きていてもいいしどう死んでもいい。死んだら親に悲しませるから死なないけど。

さて、どう生きていこうか?

すべてが新鮮で、どんな未来が待ってくれているんだろうという好奇心で日々に臨んでいました。「お金持ちになりたい!こうしなきゃああしなきゃ!」という野心も執着もなかった。「Well,let me see what would happen.」わくわくしながら、運命の流れに身を投げました。

私は「気合入れて頑張るぞ!」という意識はなかった。努力は意識していました。「意図的な努力」と「環境に流される」半々の具合で。15年間があっという間、私は40歳すぎになり、「何故生きる」の答えがわかったと思いました。

「何故生きるか」は「幸せになる目標の実現」だと思いました。仕事、定住、結婚、出産、転職。私が描いていた「幸せ」の一つ一つの画面を、15年間の人生にしっかりと軌跡を残してきました。幸せを形にして手に入れた「自己実現」ができたと思いました。ところが、幸せになったはずなのに笑顔が消えた疲弊の日々、どこか間違っていると気付いて、「何故生きるか」を考え直し始めました。

それから2~3年後の今、やっとわかりました。

何故生きてきたか。
私は愛する人と出会うために生きてきた。家族、子ども、友人同僚など大切な人たち。私はグローバルの舞台で自己肯定ができる仕事をするために生きてきた。私は風花雪月の大自然の美しさに、この世界の素晴らしさに出会うために生きてきた。

その一瞬一瞬の最高の喜びに出会うために生きてきたのです。そして最高の喜びを迎えるまでの一つ一つ乗り越えてきた試練も。それらすべては、私が15年前に「自由だ!」の始まりから生きてきた理由です。

何故生きるか。
試練と喜びの繰り返しの中で実現できた「小我」(小さな自分)のシーズン1でしたが、これからはシーズン2の一回り大きくなる「大我」を出会うために出発します。どんな試練と喜びがこの先にあるかはわかりませんが、私は強く生きていく。

何故生きるか。
私の最愛の子どもたちの成長を見守っていくため。私の大切な人たちに寄り添っていくため。そして、私に生きる喜びをくれたこの世界に細やかでも恩返ししたいため。

何故生きるか。
未知の未来に、愛をギブする自分に会いに行くため。

投稿者: Nene Z

惑わずの四十から幸せの真理を求め、ウェルビーイング科学最先端のアメリカからマインドフルネス発祥地のインドまで古今東西の知識と情報を網羅。感性の赴くまま✧✧✧自分らしく・美しく・輝く✧✧✧ハッピーマインドを発信♡

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